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今も変わらず浜田省吾ファン
category: 僕とヒーロー | author: NOKON
浜田省吾

僕には尊敬する人が何人かいるが、その中の一人が浜田省吾さんだ。
僕が15才の時、ラジオで初めて彼の曲「路地裏の少年」を聴いた。
その時の衝撃は今でも鮮明に憶えてる。
必死になって、ラジオから流れているその詩を記憶した。
浜田省吾、浜田省吾・・・と忘れないように何度も唱えていた思い出がある。
高校受験をひかえていた僕にとっては応援歌であり、道しるべでもあった。

僕が高校に進学してまもなくアルバム「J.BOY」が発売された。
それは誇りを失いかけた日本人に対するメッセージソングで、J.BOYという言葉そのものが時代を表現する言葉としてあらゆる所で使われていき、それとともに彼は苦労の末、スターダムにのし上がることができたのだ。

僕が彼を尊敬する一番の理由は、どんなに曲が売れようが決してマスコミに露出せずにデビュー当時と変わらないスタンスで、今もライブで音楽活動をしファン層を獲得していってるところである。
おそらく彼の素顔を知る人は、彼の根っからのファン以外にはいないだろう。
それはロックスターにこだわり続けた彼の譲れないスタンスなのだ。

彼の研ぎ澄まされた感性は、おそらく広島原爆の被爆者であった父の存在とその戦争の敵であったアメリカからセンセーションを巻き起こしたビートルズの存在という矛盾から生まれたものだろうと僕は思う。
「J.BOY」で夢であったロックスターに上り詰めたちょうどその年に彼の父は亡くなった。
その死を知っていながら、彼は全国ライブを敢行したのだった。

そのライブで語ったことは、父親の死ではなくあの尾崎豊さんのことだった。
「みなさん、彼がコンサートに来たときはぜひ行ってあげてください!」
そこで僕は尾崎豊さんの存在を知ったのだ。
その年は覚せい剤で捕まった尾崎豊さんが釈放された年でもあったのだ。
後に知ったことだが、尾崎豊さんが釈放されて再び音楽活動をしようとあらゆるレコード会社を回ったがどこも受け入れてくれなかったとき、その話を聞いた浜田省吾さんが自分の事務所に招き入れ救ってあげたそうだ。
同じロックミュージシャンとしての才能を評価していて、その才能を伸ばしてあげようとの判断だったらしい。
浜田省吾さんはそんな懐の深さを持った人なのだ。

彼はROAD&SKYという事務所に所属している。
実はこの事務所も彼が立ち上げた会社で、今は有名なミュージシャンとしてはスピッツが所属している。
この会社を設立するときのエピソードもある。
彼が呼びかけて作った会社だから、本来、彼が社長に就任するというのが一般的なのだが、彼は「ミュージシャンと経営者を兼務することはできない。ミュージシャンは音楽を作ることが仕事だ。」との理由で出資だけをして、親友に社長の座を預けたという。
尾崎豊さんはほんの僅かしか彼の事務所にはいなかった。
彼は野心があったため、早くに恩師の事務所を去り、自らの会社を立ち上げて社長に就任した。
実はそのとき、浜田省吾さんは彼に忠告している。
「尾崎くん、ミュージシャンは経営者をやっちゃいけないよ。音楽が書けなくなるから・・・」
その忠告を無視して、彼は断行したのだった。
後にそのことが引き金となり、尾崎豊さんはあのような死をとげることとなったのだ。

尾崎豊さんの死後、因果関係はわからないが、浜田省吾さんのしばらく音楽活動を休止してアメリカを一人旅していた時期がある。

紆余曲折があり、浜田省吾さんは来年デビュー30周年を迎える。
先月「i am a father」というシングルをリリースした。
最近、隅っこに追いやられてる日本の父親に対するメッセージソングだ。
この曲がヒットチャート5位を記録した。
この記録がすごい訳ではない。
この週のヒットチャートの20位に入ってる彼を除いたミュージシャンはみんな10代だったそうだ。
僕はこの瞬間、彼のすごさとともに自分自身の感性の確かさを確認したのだった。

7月6日(水) アルバム「MY FIRST LOVE」リリース
comments(6) | trackbacks(1) | PAGE TOP↑
初めまして、浜田省吾&尾崎豊ファンの一陣の風です、
浜田省吾さんは尾崎豊さんに、当時アドヴァイスされていたのですね、初めて知りました。
一時期同じ事務所にいたのは知っていましたが、浜田省吾さんには今更ながら、感謝です。
by 一陣の風 (2005/08/22 12:20 PM)
こんにちわ・・・
去年浜省のコンサートへ初めて行き(福岡)大感激しました。もう一度行きたいと思いついに、さいたまスーパーアリーナで12/10と11行って来ました。本とに最高のステージでした。
ステージでジーンズをはいて駆け回っている浜省の姿を見ていて、豊が生きていたらこんな感じになってたかなーと重ねて見るときがありました。
長崎に帰ってきてから、そういえば豊の墓ってどこだろう、実家ってどこにあるんだろう、倒れた場所は?と豊のことが急によみがえってきて、今年尾崎豊の墓参りを含め豊ツアーにでかけます。
死後15年目に入る前にぜひ今年行きたいです。
豊が亡くなって今年で14年がたちますが、いまだに、見ると涙がとまりません。いつまでも悲しんでいてはいけないと思い、自分の気持ちを整理するためと、新しい第1歩を踏み出すために決意しました。
浜省には去年12月から何度かお便りしています。
豊と浜省にそんなつながりがあったなんて本とに驚いてます。浜省を通して豊のお墓に足を運ぶことができるのは、きっと、豊がそうさせているような気がします。
きっと私を浜省を通じて豊が呼んでいるような気がします。
浜省には豊のこともそのうちたくさん書こうとおもってます。私とって二人はとても絆の深いミユージシャンです。
豊の分まで浜省にはがんばってもらいたいです。
浜省と豊の事について、他に何かご存知であれば、またお知らせ下さい。
今年浜省と豊のファンクラブに入ります。
豊のファンクラブは今年春より新しくなるようで、ちょうどいい機会かなーとおもいます。
では、ながくなりましたがこの辺で・・・・
by アンネ (2006/01/07 8:57 AM)
アンネさん

コメントいただき、ありがとうございます。
読んでいるだけで、浜田省吾さんと尾崎豊さんへのあなたの想いが伝わってきました。

僕自身、何かに引き寄せられるかのように、札幌で尾崎のローカルファンクラブ『エッジ・オブ・ストリート』を運営する一人の女の子との出会いによって、尾崎の死後すぐに、尾崎の亡くなる直前にマネージャーを務めていた大楽光太郎さんと話をする機会をもらいました。

彼は奥さんによる他殺を主張されていましたが、僕はその根拠を疑い、かなり強く反論したことを思い出しました。しかしながら、彼は尾崎の兄の同級生であるにも関わらず、尾崎を心から崇拝して止まない信者の一人であった(彼は自分の息子に豊と命名している)ことを考えると、当時、夫婦関係に亀裂の入っていた尾崎を庇うがゆえの憶測に対して、無理もないなとも感じました。

僕はそれから一年後に尾崎の墓を訪れたんですが、それは浜省の横浜アリーナでのコンサートに行く足で行ってきました。もっとも尾崎の墓参が先でしたが・・・

アンネさんの言うような絆(縁)というものなのでしょうね。ぜひとも、尾崎の墓に花を手向けてやってください。行くと感じると思いますが、死んでもなお衰えない彼のメッセージがきっと伝わってくると思います。

コメント、ありがとうございました。
by NOKON (2006/01/07 11:05 AM)
こんにちわアンネです。
ご返答ありがとうございます。
ひとつお聞きしたい事があるのですが、浜田省吾さんが尾崎豊さんが事務所を独立するとき忠告しているとのコメントがありましたが、それは、いつどこでお聞きしたのですか?
コンサートですか?どうしても気になりましたので・・・・
それで、浜田さん他に豊の事について何か語った事はありませんか?
豊のことを、とても気にかけて頂いていたようなので、とても気になります。
でも豊も浜田さんの曲はよく聞いていたので、救って頂いた事は本とに感謝していたとおもいます。
浜田さんにはほんとに感謝感謝です。
どうか、なにかありましたらよろしくお願いします。
by アンネ (2006/01/20 8:15 AM)
アンネさん

回答が遅くなり申し訳ありません。

あれから自分の15年以上前の記憶を辿り、随分と過去の本を調べたのですが、裏づけとなる文章はいまだ見つかっておりません。

探している中で下記の文章を見つけました。


〜尾崎豊 愛すべきもの全てに 鬼頭 明嗣〜

ニューヨークから戻って、覚醒剤で逮捕されて、再起を賭けた時であった。
「僕は浜田さんを尊敬しているんです。一度でいいですから、浜田さんと話がしたい・・・。」
「ああ・・・浜田さんとか・・・。」
 尾崎はわずか6ヶ月でこの事務所と別れてしまうのだが、この間ついに浜田さんと会う時間は得られなかった。
 ホリプロ系事務所から浜田さんが独立したのは15年前のことであった。しかし“独立”とはいっても、彼のなじみのマネージャーとともに独立したのであって、独立後も彼はあくまで所属アーティストとして、その<ロードアンドスカイ>に今日まで在籍しているだけである。会社組織の役員欄に彼が名前を連ねなかったことが、こうして彼が今でもアーティストとして先頭に走れていることだろうと思う。
 アーティストは、ビジネスの中に首を突っ込んではいけないのだ。

もしかすると、僕の思い込みか聞き間違いだったかもしれません。引き続き、時間を見つけて探してみます・・・
もし、間違った情報だとしたら、訂正とお詫び申し上げます。
by NOKON (2006/02/09 11:08 PM)
こんにちはアンネです。
ご返答ありがとうございます。
そんなに時間をかけてくれていたなんて本当にすみません。
ありがとうございます。
4月に浜田さんに贈り物をしようと思い今せっせと準備しています。その時の手紙の材料にしようと思いました。また、私自身もすごく気になっていたのでお聞きしました。
この本探してみます。
つい最近、(愛することそれがすべて 鬼頭 明嗣)の本を購入しました。とても厚い本でまだ最初の方しかよんでません。がんばります。
それで思ったのですが、鬼頭 明嗣さんのお父さんと豊のお母さんの亡くなった日が、浜田さんの誕生日と同じなのがとても不思議ですね。やっぱり縁でしょうか・・・
浜田さんに送ったあとは、豊の分に力をいれます。
東京へもっていきます。
実家へたどりつけるかどうかわかりませんが、がんばってみます。また、なにかあれば、よろしくお願いします。

annneより
by アンネ (2006/03/02 8:26 AM)






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